還暦を迎え、15年間務めてきた警備の仕事を退職しました
今後は、年金を受給しながら 作家一本でのんびり過ごします
これは、15年前に決めていたことでした、、、
思えば、18年前、、、
ゴルフ場勤務の42才の僕は、遊んでばかりで、つまらない人間でした
しかし同時に 「自分は何者か」 という疑問に悩み、恐怖すら感じ
「職人になりたい」 と思っていたのです
そこで出会ったのが、着物の伝統工芸士の先生でした
僕は会社を辞め、弟子入りさせて頂きました
(先生は記事にされたくない方なので、そこは割愛させて頂きます)
僕は毎日8時間、冷暖房のない部屋で生地を織り、修行しました
3年が過ぎようとした頃、着物だけじゃ食っていけない現実や
業界の腐った体質などに絶望を感じ
貯金も底をついたので、警備の会社でアルバイトを始めました
しかし、中洲の駐車場の勤務でも、古株のバカ野郎たちと喧嘩になり
天神のツタヤ駐車場では、係員の態度が悪いと 何度も通報され
「人生ってつまらんなぁ~」 って思ってました
それでも、作家がやりたいから、、、
昼バイトの時は、深夜まで作品を作り、深夜バイトの時は、昼に作品を作り
「年中無休人間」 をやってきました
(これは近年の写真です)
ちょうどその頃、居酒屋をやってる後輩も経営を悩んでる時期で
僕の話を聞いて 「年中無休」 を僕もやってみます! と言ってくれ
同じく作家の弟や、いつもの仲間と酒を酌み交わす時間もあって
なんだかみんなで頑張ってるような気持ちでいました
だからあの頃の、暗い目をした自分に言ってやりたいです
「大丈夫、60才までは やれるから」 ってね
その後、木原さんという人との出会いで、中国に行けることになったり
一閑張りという作品を勉強して、展示会で順調に売り上げを稼げたり
作家仲間も増え、タイ旅行という素晴らしい趣味も加わって
まあまあ、楽しくやってきました
勤務が、葬儀社の警備に移籍してからも、いつどうなるか分からないのが
作家人生なので、用心深い僕は、警備の仕事をずっと続けていました
ま、結果的にそれが
コロナ禍を乗り切って、飯が食えたことに繋がりました
最後の勤務は、ベルコシティホール伊都の警備でした
これで
15年前に60才までやる! と決めた警備の業務から退職致します
関係者の皆様、誠に有難うございました
蝶のように、ここから羽ばたくという年でもありませんが
ゆすら梅のように
いつまでも、小さく美しく咲いていたいかな、とは思います
他人の人生なんか知るか、と思う方もいるでしょうが
最後まで読んでくれた方、心より感謝いたします。