かあちゃんが逝きました。

今回は、自分の為に残したいブログなので
何卒ご了承ください。


平成29年12月25日、1時19分に母が逝きました 78才でした

昭和14年3月3日ひな祭りに生まれて、クリスマスに天国に行くという
おめでたい母は、昭和37年に僕を産んでくれました

特に取柄はありませんが、人徳はありました
怒ることも少なく、人の悪口や争い事が嫌いでした


母は、子供よりまず旦那様に献身的な女性でした
僕が幼少の頃は家庭にお金がなくて、母子でうどん玉を半分で食べ
いつも同じ洋服を着て、なんとか亭主の酒代をつくっていました


学生の頃、僕がどまぐれて家に帰らなかった時も、いつも態度を変えず
ご飯を作って待っていてくれました
何度も警察の世話になりましたが、いつも迎えに来てくれました

会社を辞めたいと相談した時も、いやなら辞めればいいじゃない
専門学校にでも行き直したらどう?と言ってくれたことが
現在の僕の生き方に大きな影響を与えたと思っています

しかし、ようやく生活が安定してきた44才の時に母は脳腫瘍に倒れ
30時間以上に及ぶ手術を2回受けて、奇跡的に助かりましたが
右半身に麻痺が残り、他の病気も重なって長い闘病となりました

母の楽しみは国内旅行でした、親戚の方がたくさん連れて行ってくれて
有難いことでした、母の宝物になっていたと思います


晩年は、5か所ほどの通院があり、家内と手分けして大変でしたが
母は明るく、弱音も吐かず、人を羨むこともなく強く生きました


僕は母が大好きで、母もできそこないの僕が大好きでした


今年の正月は、元気に二人で初詣に行ったのに、親父の初盆が終わった
頃から急激に衰えていって、8月に検査入院したところ
癌はもうすでに末期の状態になっていました


牟田病院緩和ケアは、とても素晴らしい環境でした

先生もナースの皆さんも本当に親切で、外出して喫茶店に行けたり、ふぐちりパーティーをしたりアイスを食べたり、ワインを飲んだり、ピアノのコンサートまでありました

母は、「今が一番幸せだ」 と言っていました


そして、クリスマスに静かに逝きました
ほとんど痛みがない、奇跡的な臨終でありました


家内が選んだこの遺影、とても可愛いです

「オッケ〜、私は十分に幸せだったから、いつまでも悲しまずに
         明日からまた自分の人生を有意義に生きなさい」

母はきっと そう言っているに違いありません


10月に、「産んでくれてありがとう」 と病室で初めて言いました
その時 母は 「うん」 と答えてくれました

男らしく生きろと教えられましたが、今回だけはすいません
約束を破って 泣かせてもらいます


かあちゃん、今まで本当にありがとうございました。