博多 ・ 悪そうかばん

待望の一閑張り! (多分誰も望んでないやろ〜けど)

作りたいけど、作ってもしょ〜がねぇと思っていた作品ですが
一部の特殊な連中に向けて ついに発表致します



(イラスト・後藤崚介)


時は、1978年(昭和54年)
僕は高校2年になったばかりの 16才

卒業した3年の先輩から 由緒ある 「悪そうかばん」 を譲り受けました
血のりが付いた伝統のかばんでした

僕らはいつものメンバーで悪い事ばっかり やってました



1978年といえば、矢沢永吉さんの4枚目のアルバム
「ゴールドラッシュ」 が爆発的に売れ、レコードを擦り切れるまで
聞いたダチが また買いなおすという現象も起きました

暴走族全盛の、ぐちゃぐちゃな時代です
ヤンキーという言葉はなく、博多は 「悪そう」 と呼ばれていました

そんな連中が持ってたかばんが これ



(資料提供 ・ 自分)


おもては シンプルに 「VAN」 のステッカーのみで
彼女が作った 「サテンの紫のずたぶくろ」 が下がっています

これをぶら下げてると彼女がいるという証になり、まあ自慢なんですが
そのぶん 駅前で他の女に手紙を渡される確率は減りますなぁ

頼むから名前だけは刺繍すんなって 言ってました



裏はこんな感じ

先公も裏までは文句言いませんからね
僕は絵が得意だったんで ダチにも描いてやったりしました

当時は、親父が捨てようとするビジネスバッグの取っ手を付けたり
鎖の取っ手を付けてる化石のようなヤンキーも まだいましたよ



右の側面は 仲間うちで人気のポマードです
「黒バラ」 「エロイカ」 「ブラバス」



左の側面は 僕が愛用していた 「柳屋」 「エムジー5」

さあ、中には何が入っていたのでしょう
実際のかばんの幅は 3〜4センチしかなかったので
ほとんど何も入れていませんでしたが、 記憶の中では、、、



おお〜っ、彼女に押し付けられた交換日記ですねぇ
小学校5年の時に初めて吸って、ずっと僕はハイライトでした
現在は煙草はやめています

ミッキーマウスのノートとかはやめてくれ!ってお願いしました
面倒臭くて書かないから いつも怒られてた記憶があります



エロ本だよね〜、これは見るというよりウケ狙いで持ってたり
学校で欲しい奴に売ったりしましたね

博多駅の裏で、モロ見えのビニ本を買ってくれば高値で売れました
こんなの持ってるおかげで先公にバレて 

「校門でびんた&正座の刑」 に処されたこともあります



クリームソーダのくしは 東京に遊びに行ったダチのお土産でした
めちゃくちゃ嬉しかったですね  ボンドは工作用ですよ?(笑)



謎の オロナミンC の瓶はヤバイっすよ
中に何が入ってるか、分かる人にしか分からないでしょうなぁ



かばんの底に バラバラ〜ッと入ってる校章
そ〜です、他校の連中と もめちゃった時に むしり取るのです



作るのは楽しかったけど、下品な記事をお許し下さい

あの頃を思い出すと 家庭や町内の皆様、同期や後輩の皆様 
他校や街角の皆様、そして警察、特に地元の小田巡査様

なんか色々とご迷惑をおかけしました



ど〜も! すいませんでした〜!



ぼ、、、僕からも謝ります。