残念な親戚

数年前から

介護が必要となったお袋や
年老いた親父と 手続きやお話をするために

定期的に 

ケアマネージャーという女性が来る

うちの親父っていうのは ほんとに根っからの嘘つきなんでね
そのケアマネとオレは電話でつながってて

まあ、老老介護につきものの 虐待防止のために
連絡は取れるようにしてんだよね

そんで ケアマネの訪問日には  

オレはわざと顔を出さないようにして
親父にのびのびとしゃべらせる作戦をとってる

そんなある日

親戚の人が まあ見舞いのようなかたちで来ていて
たまたま ケアマネの話を一緒に聞くことになったんだけど

オレは いつものように同席しなかった

それを、、、

陰でボロカスに批判されたらしい

「大事な話なのに、息子は知らん顔してる!
  私は自分の子供に あんな教育をしたことはない!」

なんだってさ

残念な人だよなぁ、、、

年に数回しか会わない人が
たまたま見た光景に 空想をめぐらせ

何年も助け合って生きている家族を批判するってさ、、、

事情を察するとか、思いやるってのが
日本人の美しい内面性じゃなかったのかな

オレは 人づてにそれ聞いて
さみし〜い脱力感に 全身を包まれた

そんな人、いくら親戚でも もういらない


* 絶交した方がいいと思う *


そりゃね

オレは昔から ワルだったさ

「相変わらずのバカ息子が 両親の心配もしてない!」

そう言った方が話が面白いもん 
聞く側にとってもだね

島国の日本は もともと他人の噂も大好きで

批判というのは 自分のコンプレックスも解消できるし
助けられない無力感を 少し和らげる効果もある

それに聞いた同士には 妙な連帯感さえ生まれるもんなんだ

いじめの原理に 少し似てるよね

でもね

批判や悪口は 口から悪臭を放つ「気」が出てくるんだよ
だから その人の周りからは人がいなくなる

そして 口から出た毒の言葉は 
一番近い自分の脳に 悪い影響を及ぼして

さらに その人生をネガティブな方向へ 導くことになるのよ

これは 

天画導・観龍先生という人に 4年前に習ったことで
オレは 4年前から人の批判はしないことにした

もう50だし ワルぶってる時間もない

オレは自分の夢に向かって真っすぐ進み
人が喜ぶ顔を見るために仕事をすると 決めたんだ

これは 

うちの妹も、弟も、女房も
同じ考えで生きてるところがあるよ みんないいやつだ

せめて40才ぐらいからは 
人間はそんなこともちゃんと気づいて

思いやりを持って生きていかないと 
いい加減 恥ずかしいでしょうと 思ってしまうね

というわけで

オレの考えとしては

「遠い親戚より、近くの他人
   いくら親戚でも、絶交する選択肢もある」

ということ

オレは絶対に その人間は許しません
その後の人生 スッキリすると思います。