タイの東北部
イサーン地方は、貧しい農家が多い
家屋の作りは
水害や虫よけ、または風通しのためか
昔の邪馬台国のような高床式で
トタンの屋根か、もしくはワラぶきが乗っかっている
木や竹で作られた壁には 無数の穴があいていて
涼しい代わりに 虫や爬虫類が簡単に侵入できるわけで
子供たちは 蚊帳で寝せられていたりする
水道は、付いてなかったり
あっても、大腸菌入りで とても飲めないので
コンクリートのタンクみたいなものに雨水を溜めて
それを 飲み水に使っている
食事は、タイ米に唐辛子たっぷりの野菜炒めをぶっかけて
床に座り込んで食べるスタイルが多くて
タイ人はだいたい
みんなだらだらと、やる気なさそうに食べている
日本の国土の1.5倍ほどある
亜熱帯の広大な土地には
水田、果樹園、養豚、養鶏、エビの養殖などが広がっていて
農家以外に 良い就職口なんかないわけで
とにかく 朝から晩まで働いても
月収にしたら 日本円で2〜3万ぐらいなのだろう
そのくせ 子供はポンポン生まれる
男どもは 酒好きの、女好きの、ギャンブル好きで
さっぱり働かないやつが多いときている
そんな
田舎の貧しい農家に
アピンヤー・ティーナーティンは 生まれた
彼女のニックネームは パァム
パーム椰子の パァムなのだろう
小さい頃に母親が そう名付けたらしい
彼女には 兄が二人と、姉が一人いて
飲んだくれの父親がいた
幼い頃から 母親に連れられて
市場の手伝いをしていた彼女は
もう 18才になっていた
母親は、朝早くから畑に出て、そのあと市場で働いているが
その日も父親は 友人を家に招いて酒を飲んでいた
「トラックが欲しいなあ、、トラックがあれば
運搬業か、タクシーで稼げるのになぁ〜」
父親は酔うと 決まってそれを口にする
たとえトラックがあったとしても
この父親が真面目に働くとは 思えない
実際に、隣の村には愛人がいるようだし
女房に働かせている後ろめたさを 誤魔化したいだけだろう
それでもパァムは 父親が嫌いではなかった
パァムは
まだ幼さが残ってはいるものの
色が白く、驚くほど美人だった
その横顔を 父親がじっと見ている
酒がなくなり ごろんと横になると
父親は 独り言のように こう言った
「あ〜あ、長男はバカ、長女はブス、次男は不良で
うちはまったく 楽にならんな〜」
「しかしパァム、おまえは可愛いから稼げるよ、うん、そうだ
稼いでくれたら トラックが買えるんだけどなぁ〜」
父親が言っていることに
パァムは はじめ気が付かなかった
何を言ってるんだろうと思っていた
でも 数日後、
友達に聞いてようやく分かった
父親は、都会の風俗で働いて田舎に送金しろと言っているのだ
ヒドイ話のようだけど
タイの地方の農家では 一般的な流れで
パァムは
20才の時に、一人で列車に乗ることになる
8時間ほどで 首都バンコクに着いたが
あまりのビルの多さに萎縮してしまい
パァムは、逃げるように パタヤ行の高速バスに乗り込んだ
今まで 海を見たことがない、
そのことも この港町に吸い寄せられた理由かも知れない
かくして
パァムは パタヤのゴーゴーバーで一年働いて 21才になった
毎晩、脂ぎった外国人の視線にさらされてはいるが
サムソンのスマホも買えたし 綺麗な服も着れる
お金に余裕ができたので 歯の矯正もしている
テレビに、エアコンに、シャワー、
夢のような生活では ある
もちろん 実家にも送金しているが
その金で最近、兄がバイクを買ったと聞いた
父親は やはり働く気など ないようだ
タイにおけるゴーゴーバーでの仕事は
ママの教育が けっこうきびしいものだった
午後8時から 午前4時まで
トップレスで 踊り続けなければならないうえに
休みも 7〜8日に一度しかもらえないので
仕事以外の時間は ほとんど寝ているらしい
さて
そうやって稼げる時間も
女性にとって そう長くはなく
20代後半になってきたらどうするんだろうと
心配にもなってくるのだが
タイ人は 先のことなど分からないと言う
あるかなしかの将来など考えずに
現実的にその日を生きるだけなんだと
年取ったら また市場で働くよ
そう言って
無邪気な顔で 笑うのでした
そして
その時 僕は
確かに貧しい国の現実は厳しい
自分は 恵まれていて 幸せだ
と 思う反面
不安ばかり抱えた セコイ日本人が
不幸せそうに スマホ見ながら歩いて
何か起こると ひとのせいにして
カネのためなら 偽装も平気でやって
忙しい忙しいと
自慢なのか 自虐なのか分からず
バタバタしている姿がとても滑稽で
波乱もなにもないのに
年間3万人以上も自殺をする
そんな現代日本も
それはそれで無機質な
貧しい人生に見えてきてしまうのでした。