アジア旅行に ハマる気持ち

タイを旅して

アジア貧乏旅行にハマった人間の心の底を
うまく表現した作家の文章を ちょっと紹介しましょう


・旅はSEXに似ている・

あるいは、SEXは旅に似ている

などと、いきなり言われても戸惑うだろうとは思うが、少なくとも僕にとってはそうだ。
旅は未知の異性とのSEXに似ている。それは快楽的に探究心を満たす行為であり、
と同時に非日常性を求めるものである。次から次へと知りたい欲求に駆り立てられ
時に、危険をも省みずにその世界へと飛び込んでゆく。

ある年齢と経験値を越えた時点で、その行為に見切りをつける人が多いという点におい
ても両者は似通っている。
ならばいっそ「恋に似ている」と言い換えても良いのではないか?とも思ったが、でも
やはりそれは少し違う。恋は、肉体的な接触がなくてもできる行為だ。
本や地図や雑誌、あるいはテレビや映画、そんな媒体を通して異国に憧れる気持ちを
持つことが可能なように、遠くから眺めていても恋はできる。

しかしながら、本当の旅とはそんなものではない。それは体全体で何かを知る行為であり、
いついかなる時も肉体から作用して、そしてついには人格にまでその影響を及ぼしてしま
うものである。どこまでもフィジカルで、しかもエロティックなコミュニケーションなの
である。

知ったかぶりの知識を笑い飛ばすような、本物のコミュニケーションを求めて、我々は
旅に出る。視覚的、皮膚感覚的に受け止めた激しい衝撃とともに、目くるめく世界に体
ごと飛び込んで、時には雨に打たれるような快感に身をゆだね、そして支配されるがまま
になる。屈託はまるでない。

それは交じり合う水のように心と体がその世界へと溶け込んでしまいそうになる快感だ。
甘く、狂おしいその世界に人は病みつきになる。癖になる。
もっと、もっととせがむようになり、日常生活に戻ってからも白昼に夢で見るようになる。
誰もが一度は経験があるだろう。そう、アレだ。あの感覚だ

なんて、もしかしてこんなことを書くと、あるいは人によっては不快感を感じてしまうの
かも知れないが、でもこればかりは仕方がない。この感覚はとても個人的なのだ。
パーソナルなものなのだ。女性にも当てはまるのかというと、おそらく大多数において
違う気もするし、男性にしてみたところで詳しいところは分からない。

ただ、僕はそう思う、ということ。
そして旅先で出会った何人かの旅人が同じように感じていた、ということ。
ただ、それだけのことである。

我々、つまり 「僕と幾人かの旅人」 はこう思う。
旅はSEXに似ている。それも恋心に端を発した純真なSEXだ。我々は少しでも長くその感覚を体に刻み込みたい。そして次から次へと新しい世界を知りたい。知りつくしたい。
それは決して軽々しい気持ちではない。むしろ真剣であり、自意識を探し求める行為の
裏返しだと言ってもいい。

確かに責任感の希薄な行為に違いないかも知れないが、でも恋の感情とはそもそも
そのようなものではなかっただろうか?
性行為を行ったことのある異性の名前と顔と体とその数を、眠れない夜のベッドの上で
指折り数えながら思い返すように、パスポートの白紙ページを埋め尽くそうとするスタンプを見て、「嬉しい」 と我々は思う。

それが下衆な考えであるとはもちろん知りつつも、でもどれだけ否定しようとも、その感覚が心の中で ゼロ になることはない。
我々はその行為を本心からは決して悔やまない。恥じることもない。むしろ誇りを持って心の底にしまいこむ。
無垢だった我々に、新しい世界を教えてくれたことに感謝しながら、そしていつまでも、
その時、その場所の匂いを忘れたくないと願う。

愛しい、という感じを忘れないでいたいと思う。

さて、その意味からすると、いくつかの我々の経験の中で、誰が「童貞」を奪ったのかという問題がおのずと重要視されてくるわけだが、その点で言うなら僕の初めての相手は
あまりにも近親的で、かつ衝撃的すぎた

それは タイ国であった。





2000年、素樹文生 「隣国再訪」 より